井の中の蛙の夢

食いしん坊で人付き合いが苦手な30代ゲイのささやかな日記です。

出来合いの天国・マックをキメる――てりやきをめぐる煩悶(2)

前回、マックの新商品バーガーのダブル炭水化物と、照り焼きソースとお好み焼きソース&明太子という前代未聞のマリアージュを前にして、オーダーに尻込みした、僕(かわず)。

 

その時に流れてきたのが、平成バーガーの感動の残響だろうか、安室奈美恵の「Try Me ~私を信じて~」である。

ディズニーの「不思議の国のアリス」には「EAT ME」と書かれたクッキーが登場するが、マックの新商品はその斬新さゆえに「TRY ME」と書かれているような気がする。

 

新しい世界のドアを開く勇気

届けてたい 誰より 熱く

そうよ try me

あなたをつつむ愛が待ってる

 

新しい世界のドアを開き、熱々の照り焼きの新境地に突入し、マックを信じて、さらに愛を深めるべきなのだろうか。

悩むと同時に平成のマックの思い出が蘇ってくる。

 

ハッピーセットのいち消費者として、幼少期をともに過ごしたドナルド、グリマス、ハンバーグラー、バーディ、フライキッズ。彼らは今も元気にしているだろうか。

 

一度耳にしたら脳裏に焼きついて離れない魔法の言葉「ランランルー」。嬉しくなると、ついやっちゃうんだ。

 

高校生の頃、駅近くのジャスコ(現・イオン)の中のマクドナルドで、セールで1箱100円になったチキンナゲットを積み上げ、部活仲間とどこまでも食べ続けられそうな気がした、当時から食い意地がはっていた青春の1ページ。

 

こうしてふりかえってみると、かわずにとっての平成マックの思い出は良いものばかりである。感謝の手紙でも書きたいぐらいである。

 

そんなマックへの忠誠心が試されている。これと同時に平成の思い出、特に家族内の外食文化の思い出がこみ上げてくる。

 

かわずの家は、外食といえば、たいてい近所の大衆中華料理店か定食屋だった。

小学生の頃、イタリアンやフレンチといった、この世には美味しい料理があることを知り、1歳上の姉とともにその魅力とどれだけ食べてみたいかを力説しても、両親は頑として聞き入れなかった。

そして父は、中華料理屋では迷ったあげくに「野菜たんめん」、定食屋でも迷ったあげくに「メンチカツ定食」を決まって注文していた。

そんな両親の外食への保守的な態度に疑問を抱きつつ成長し、その反動なのだろうか、今ではやたら食い意地がはった大人になってしまったのである。

 

今こそ食の保守か革新かが問われるとき。「TRY TERIYAKI」か否か。

某「雪の女王2」みたいに「Into the Unknown~♪」と軽快なステップで、未知なるTERIYAKIの領域に飛び込めるか。

 

食に保守的だった父との葛藤を経て、かわずが出した結論とは・・・

 

結局、新商品は頼めなかった。かわずもまた、少なくとも照り焼きバーガーに関しては、保守的になっていたのである。年をとったのだろうか。

 

代わりに、個人的に確実に美味しいと思っている「サムライマック炙り醤油風ダブル肉厚ビーフ」と、夜マックの「倍チーズバーガー」を頼んだ。

とどのづまり、「Into the unkown」できなかったのである。

あれほど両親の食への保守性を憎んでいたせいに・・・・・・血は争えなかった・・・・・・。

 

その後、購入したマックは美味しくいただきましたとさ。

 

 

 

 

 

出来合いの天国・マックをキメる――てりやきをめぐる煩悶(1)

今日で禁酒して4日目・・・・・・にして異変が起こった。

昼ご飯を食べながら、何の気もなしにTwitterを見ていたら、一つの画像つきツイートに目に留まった。

 

画像には、マクドナルドの期間限定の新商品「北海道じゃがバタてりやき」、「大阪お好み焼き風ソースたまごてりやき」「博多明太てりやきチキン」の3点と、ポテトのLサイズ1点が映っており、「マック新作映え~!」というメッセージが添えられていた。

 

僕(かわず)はマックが大好きである。

フランスの詩人で、詩集『悪の華』などで知られるシャルル・ボードレール(1821~1867)は、ニガヨモギから造られるハーブ酒・アブサンを「出来合いの天国」と喩えたという。

アブサン飲めば、この世はハッピー!」みたいなニュアンスだろうか。ちなみにボードレールは、アルコールと薬物依存で46歳の若さで亡くなったという。

 

かわずにとって、マックとストロング酎ハイの組み合わせは、令和の「出来合いの天国」にほかならない。まさに、ダメな大人のハッピーセットである。

そんなハッピッピーな誘惑に抗えず、日が沈むとともに、指は勝手にマックのスマホアプリを起動した。

 

昼に見たツイートの主を真似して、新作豪華3点セットをモバイルオーダーしようする。この「3」という数字がにくい。本当は2個で満足なんだけど、3個食べられないこともないから、ついでに注文してしまおうという絶妙な設定。

ついでにチキンナゲッツも頼んで・・・それも2箱・・・ソースは2種類♪・・・と悪行の限りを尽くそうとする、かわず。

 

さあ、Paypayで決済しようというとき、ふと指が止まった。

本当にこれで良いのだろうか・・・と、良心ではなく、いくばくかの健康志向と食い意地がストップをかけたのである。

 

いくばくかの健康志向は囁く。

 

「北海道じゃがバタてりやきって、小麦とじゃがいものダブル炭水化物だけど、本当にいいの?」

 

食い意地は囁く。

 

「照り焼きバーガーって、照り焼きソースがすでにかかっているんでしょ?それに『大阪お好み焼きソース』がさらにかかっていたら、ソース同士がけんかするんじゃないの?」

 

「照り焼きソースと明太子って合うの・・・?」

 

つい先日、平成バーガー復活祭の時には何のためらいもなく貪っていたにも関わらず、

照り焼きシリーズになると急に尻込みしてしまった。

 

平成バーガーは平成時代のすべてを生きた民に向けた商品だったのに対し、今回は若干違うのではないか・・・?と。ただ、マック側は「大人のご当地てりやき」と銘打っており、必ずしもそうではないらしい。

 

けれども、北海道じゃがバタてりやきのダブル炭水化物は、大学の学食でラーメンやカレーを頼んでも、なぜかおまけ(?)でたまに出てくる、じゃがいも餅を彷彿とさせる。

20歳前後の若者にはいいかもしれんが、おっさんにはちょっとつらいアレ。もったいないから食べるけど。

 

そして、照り焼きソースとお好み焼きソース&明太子という前代未聞のマリアージュは、食に対して保守的になりやすい年齢にさしかかると、やはりためらってしまう。

 

煩悶するかわず。それだけマックに対して真摯なのだ。

そんな時、平成を代表する歌姫の楽曲が脳内再生され始めたのである。

 

 

 

 

井の中の生活(2)

現在の交友関係が相方さんと女友達ぐらいしかいないという、昨日の話のつづきです。

まあ、僕に限らず、世間一般でも「独身おじさん友達いない問題」が深刻化しているというので、社会問題であるともいえるが・・・。

 

「じゃあ、SNSで友達つくればいいじゃん!」という明るく朗らかな声が聞こえてくる。

最近では、SNSで一緒に旅行に行く友達を探したり、同好の士を見つけるといったことも多いと聞く。

おっさんと比較してもしょうがないが、Z世代と呼ばれる人々も、「リアル」な人間関係よりも、マッチングアプリの人間関係に悩む人が多いと聞く。

 

事実、かわずの女友達も、ある日を境に旅客船が大好きになり(YouTuberの影響?)、乗船や離島巡りを繰り返すようになり、御朱印ならぬ御印(乗船先でその港にしかないスタンプを押してくれるらしい)を収集し、旅客船のグッズやマスコットのぬいぐるみを買いあさるようになった。

 

そして、彼女は40代にしてTwitterを駆使し、旅客船好きな仲間を見つけ、一緒に船のおっかけをするようになり、先月には横浜の名物客船だった「ロイヤルウイング」の引退に涙し、最近は納涼船(旅客船)に一番乗りをすべく、船仲間に声をかけて、パリピであふれる夜の東京湾に凸したと聞く。最近ではオフ会も主催するようになったとか。

すさまじい行動力である。

 

実は、そんな女友達のめまぐるしい変化を見ていて、その姿に憧れてしまい、このブログを始めた部分も少なからずあるのだ。明らかに前よりも生き生きとするようになった。

 

脱線するが、船マニアとなった彼女からもらった最高のお土産が、伊豆大島の名産「島醤油」だった。伊豆大島でよく使われる醤油で、わさびの代わりに青唐辛子で辛みや香りをつけて、お刺身を食べる習慣があるらしい。島醤油で味付けした寿司は、べっこうずしと呼ばれ、伊豆大島の名物である。

 

スーパーで半額になった白身魚の刺身の友、島醤油パイセン

 

これで白身魚(ヒラメなど)を食べると、素晴らしく美味しくなる。正直、わさびよりも美味しい(赤身はやはりわさびに軍配が上がるが)。サーモンにもよく合う。

 

限りなくステマ、下手くそなアフィリエイトのようなことばかり書いてしまったが、ブログ開設して早々に商魂たくましいというわけでは毛頭なく、かわずの食生活、特に生鮮(魚)部門は飛躍的に向上したことをお伝えしたかったのである。

それからというものの、島醤油は竹芝旅客ターミナル(東京都港区、浜松町駅近く)から大量に輸入するようになり、我が家に常備するようになった。

 

!!!

・・・油断すると、すぐに食べ物の話になるのが僕の悪い癖だ。

 

で、話は戻るが、そんな彼女と僕の大きな違いがあり、僕はSNSができない。厳密には、閲覧はできるのだが、発信および交流ができない。

 

いや、広い意味ではブログもSNSなのかもしれないが、なぜかTwitterをはじめとする現代人必須のSNSで人と交流ができないのだ。匿名でも無理で、これも井の中シンドローム、たとえネット上であろうと不特定多数の人間関係の海に飛び込めないらしい。

むろん、ゲイのアプリなんてもってのほかである。

 

このブログをきっかけに、Twitterのアカウントとかも作れたらいいなあ、あわよくば友達も・・・と夢見ながら、今日もイサキのお刺身をかじっているのである。

 

 

井の中の生活(1)

今日で禁酒2日目。ゆえにこうして夜に作文ができて、なんだか嬉しい。

禁酒ブログではないのだけれども・・・。

 

さて、ブログ開始後2日目は、「井の中(in a well)」に喩えている、現在僕が暮らすす環境について記したい。

 

今このブログを書いている井、すなわち僕の「家」(※正確には相方さんが保有する家)には、2018年から一緒に暮らしている相方さんがいる。

相方さんは僕よりも8歳年上である。

かれこれ、同居するようになって5年が経とうとしている。

 

そんな相方さんを除いて、僕には友達と呼べるような人が絶望的に少ない。

相方さん以外では一人だけ、女性の友達(「マブダチ」と呼びたい)がいる。

彼女は独身で、僕よりも7歳年上である。

現在、この2人との関係だけで孤独が回避されているといっても過言ではないだろう(仕事上の人間関係はあるのだが・・・)。

 

僕が精神的に未熟で、昔から人付き合いが苦手なせいか、精神的に成熟していて(年長者が多い)、人付き合いを得意とする人と付き合う習性があるようだ。

思えば、元相方さんも5歳年上で、物腰が柔らかく社交的な方だった。

 

その陰に隠れて暮らすとともに、その陰に隠れられる人を探して生きてきたのだろう。

これはプライベートな人間関係にかぎらず、仕事上でもこの適応戦略がいかんなく発揮され(?)、こんにちまで職業生活を維持できたようだ。

 

最低限の人付き合い、良く言えば深く狭い人間関係ができあがると、それで満足し、そこから外に出ようとしなくなる。くわえて、外に出ることが億劫になってくる。

 

これは僕に限らず、「相方ができるとゲイバーに来なくなる」という昔からゲイバーで語り継がれてきた伝承(?)にも共通する部分も大きいだろう。例に漏れず、僕もまた外に出ずに快適な井の中で暮らし続ける生活が長年続いてきたようだ。

 

けれども、近頃はなぜか外に出てみよう、新たな人間関係を育むことができればと考えるようになりつつある。「近頃」といっても、正確にはここ1~2年で、生き方を見直しつつあるようだ。

 

年を重ねるにつれて、「人間関係を豊かにすることが幸せへの近道だ」ということが、知識ではなく実感として経験するようになってきたのだろうか。

 

久しぶりの禁酒の夜に、再発したブログ

「鳥のように、飛び立ちたいと願う自由もあれば、巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由もある。」

 

日本の文豪・安部公房の言葉で、小説『砂の女』について著者が説明する際に用いたという言葉(from Wikipedia)。

30代ゲイの僕がもっとも気に入っている言葉の一つである。

なんとも含蓄に富んだ言葉で、ひきこもりがちな気質の心の琴線に触れる部分が大きいだろう。

 

ただ、僕の場合、後者の自由を好みすぎ、快適な井戸の中で暮らしすぎたようだ。一方で近頃は、前者寄りの自由も少しずつ求めつつあるようだ。

 

いわゆる心境の変化(?)なのだろうか。とりあえずこれをブログのタイトルとして、「井の中の蛙の夢」としてしたためてみた。

 

今入力すると、誤変換で「の中の蛙」と出てきた。最近話題のガチ中華では、蛙鍋を食べるらしく、僕自身も食いしん坊でそのうち食してみたいのだが(蛙って、白身魚みたいな美味しそうなイメージ!)、ブログのコンセプトとは異なるため、いったん修正しておいた。

 

というわけで、酒浸りの夜のさなか、久しぶりに禁酒している夜にブログを始めてみようと思う。

 

以前も発作的に始めては、三日坊主の夜を越えた頃にパタッと情熱が冷め、ネットの海の残骸となったブログの数々。

しかし、今回ばかりは続くといいな。